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6

食堂の混雑に真由は圧倒された。食欲は一瞬にして消え失せてしまった。が、今更「やっぱりやめる」とも言えなかった。
そもそも真由は外食が苦手である。好き嫌いが多いし、好みもうるさいし、知らない人に囲まれるのが嫌なので。まして、古いプレハブの食堂の、プラスチックの食器は、潔癖な真由には耐えがたかった。
にも関わらず食堂に来たのは、もちろん誘われたからである。強引に、というのではなく、いつでも真由は「嫌です」と言えない性格であった。
「食べないの?」
「うん・・・」
急かされて、真由はかけうどんを注文した。
これなら何とか喉を通るだろう。
「ここ、ここ」
うどんを手に、席を探していた真由を、山下のぞみが呼んだ。2コマ目の英語の授業で隣に座ったのぞみが、真由を食堂に誘ったのである。大学の講義は、各自自由に登録できるが、英語だけは最初に履修するクラスが指定されていた。のぞみと真由は、専攻が同じなので一緒のクラスになったのである。
「小食なんだね」
真由のかけうどんを覗き込んで、のぞみが言った。そういうのぞみは、定食を頼んでいた。
「ええ、まあ・・・」
「まあいいや。食べよう」
と言って、のぞみは箸を持った。
「どうしたの? 気分悪い?」
のぞみに訊かれて、真由は慌てて顔を上げた。
「ううん、何でもない。ちょっとお祈りしてたの」
「お祈り? 何か信じてるの?」
「うん。うちは親がキリスト教で、食事の前にはいつもお祈りしてるの」
「へえ、クリスチャンなんだ。カッコいい」
カッコいいと言われて、真由は悪い気はしなかった。私は信じてない、とは敢えて言わなかった。
でも、今まで深く考えたことも無かったし、面倒になったり親に反発したりしてお祈りしなかったことも度々あったのに、どうして今、自分からこんな風にお祈りしたり、そのことを人に話したりするんだろう。
「いまいちだね」
とのぞみが言った。
「そうね」
と相槌を打ちながら、真由は辺りを見回した。ほとんどが男子学生で、女子はまばらだった。
明日からは弁当を作ることにしよう、と真由は決めた。

大学内で最も広い教室がたちまちいっぱいになり、それでも入り切れない学生が表にまで溢れていた。全学生必修の憲法の講義の中で、最も人気の高いM助教授のクラスである。真由と佳代は早目に来たので席は確保できたものの、それで受講が約束されたわけではない。
「評判通りの人気ね」
と佳代が囁いた。
真由は軽い目眩を覚えていた。人が多い所が苦手な真由は、これからもこんな感じで受講手続きをしていかなければならないのかと思うと、気が遠くなりそうだった。
チャイムが鳴って5分以上経ってから、M助教授がやって来た。
「困ったなあ。来週からはもう少し人が減るとは思うんだけど、とにかく教室に入り切れないと試験の時に受けられない人が出ちゃうから、全員を引き受けるわけにはいかないんだよね」
そう言うとM助教授は、諦めて辞退する学生を出そうと、あの手この手の説得を試みた。それでもまだ、定員の倍以上の学生が残った。もちろん、真由と佳代もまだそこにいた。
「しょうがない。ここで私が『あなたはOK。あなたはダメ』と分けると必ず文句が出るから・・・」
突然何人かの学生が拍手をしだした。が、続いた言葉はその期待とは反するものだった。
「抽選にします。恨みっこなし。天の神様でも、アッラーの神様でも、『刑事コロンボ』の『うちのカミさん』でも好きなようにお願いして下さいませ」
そう言うとM助教授は黒板に大きなあみだくじを書き始めた。
真由は憤慨した。くじ運が悪いから、抽選と言われた時点で落とされたような気になったのもあるが、M助教授の「神様」発言が宗教を馬鹿にしているように感じたし、皆が受講したい一心で熱心に求めているのにくじで決めるというのも納得しがたかった。
佳代に同意を求めるつもりで隣を見ると、佳代は笑っていた。
「面白い先生ね。当たるといいな」
「そう?・・・ね」
真由は予想外の反応に途惑ったが、シラバスを読んだ限りでは講義の内容は最も充実しているようだったし、受けてみたい気持ちは彼女も変わらなかった。それに、もし落ちたら、他の憲法の講義を取らなきゃいけないし、このコマも別の講義を探さないといけない。
神様、とにかく受けさせて。
真由は短く祈って、くじに注目した。

「残念だったね」
そう言った佳代の表情は淡々としていた。
真由は返事もせず、手帳に書き出していた受講したい講義のリストとにらめっこしていた。
「憲法どうする?」
佳代にそう訊かれて真由はようやく顔を上げた。
「もし駄目だったら、明日のFにしようと思ってたけど」
「じゃあ私もそうしようっと。これからどうするの?」
「社会経済史に行ってみるわ」
「そう。私は空きコマにしようかな」
「じゃあ行くね」
「バイバイ。また明日、かな?」
「たぶん。じゃあ、明日」
真由は第二候補の教室へと走り出した。
佳代は、空いている教室を見つけると腰を下ろした。そして一人で祈り始めた。


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5

朝の空気はまだ少し涼しかった。真由は自転車のペダルをこぐ足に力を込めた。
初めての町での初登校の日だったが、道に迷うことは無かった。一人旅の経験は無いが、真由には不思議と土地勘があった。もちろん、昨晩地図を見ておくことは忘れなかったが。
川の多い町で、大きな橋を渡るのに少し苦労した。
「運動不足だわ」
マネージャーではなく、自分もスポーツをしたほうがいいかも知れない、と真由は思った。
「おはよう」
校門のそばで、声を掛けられた。自転車を止めて見回すと、フェニックスの木の陰に佳代が立っていた。
「おはよう」
「ご両親はもう帰られたの?」
「うん。あの後すぐに」
佳代とは、お好み焼き屋を出た所で別れたのである。彼女のアパートは真由のアパートからかなり遠かった。
「そうか。もう少しお話したかったな。ところで、1コマ目は何取るの?」
「宗教学にしようかと・・・」
「旧約史? 一緒だ! じゃあ、一緒に行こう」
と言うと佳代はさっさと歩き出した。真由は自転車を押しながらついていった。
郊外の新キャンパスへの移転が間近なため、補修もろくにしていないようなボロい校舎であった。自転車を止めて中に入る時、真由はお化け屋敷に来たかのように感じていた。
校舎内は、人で溢れかえっていた。新年度の最初の授業の日だから当然ではあるが、実は彼女たちの大学は全国有数のマンモス大学だった。しかも第二次ベビーブーマーでもあったので、新入生の数は過去最高だった。
幸か不幸か、二人が最初に選んだ授業はそれほど人気が無く、席を確保し、受講手続きも滞りなく終えることができた。
1コマ90分の授業だが、初日は登録と簡単なガイダンスだけで、あっという間に終わってしまった。ちょっと拍子抜けした真由は佳代に、
「今週はずっと、こんな感じなのかなぁ?」
と訊いた。
「そうなんじゃない? 時間つぶしに本でも持って来ればよかったね」
佳代もやや困惑した様子だった。
「で、この後は何取るの?」
「次が英語で、午後は憲法と生物学」
「憲法は誰にする?」
「M先生がいいかな、って思うんですけど」
「やっぱり? でも人気高そうだよ」
「中西さんはどうするんです?」
「私もM先生がいいな。一緒に受けれるといいね」
「そうですね」
「ねえ、生協に行ってみない? 私、お昼も買いたいし」
「うん。行きましょう」
真由も、今日の内に構内をいろいろ見ておきたかったし、書店にも行きたかったので、ついて行くことにした。

「早く来れば混まないと思ったけど、早過ぎたね」
自販機で買ったジュースを飲みながら佳代が苦笑いを浮かべた。あまりに早く授業が終わったため、まだ開店前だったのである。
「私、ちょっとその辺を見て回って来ます」
真由はそう言って、佳代から離れて一人で歩き出した。
一人だと心細いが、佳代と一緒でも息が詰まった。といっても、佳代のマイペースで押しの強い性格がダメなのではなく、誰に対しても最初は極度に緊張してしまうのである。相手に合わせる性格の真由にとって、多少強引なくらいのほうが楽ではあった。
じきに慣れるかな、と真由は思っていた。こっちが嫌われないようにしなきゃ。
何も考えずに歩き出して、さてどこへ行こう、と思った時、目の前に誰かが立ち塞がった。手にボードを持った、やや老けた感じの男性だった。学生には見えなかった。
「自衛隊の海外派兵反対の署名を集めているのですが、ぜひお願いします」
とその男性が声をかけてきた。
「え? はい・・・」
曖昧な返事しかできなかったが、内心喜んでいた。ミッションスクールの教師の影響を受けて、真由は社会問題に関心が強かったのである。しかし両親は真由がその手の「運動」に関わることを非常に嫌っていた。だから大学に入って一人暮らしをするようになったら、親の目を気にせずに思い切り関わりたいと思っていた。そこへ、入学早々その手の人から声を掛けられたのだから、ナイスな偶然であった。もし真由に信仰があれば、「神様のお導き」と感謝していたことだろう。
「こういう問題、関心ありますか?」
と尋ねられて
「ええ、とても。大学に入ったら何かやってみたいと思ってたんです」
真由は正直に答えた。
「ほう、それはよかった。ぜひ一緒にやりましょう」
そう言われて、しまった、と真由は思った。「何を」やるのかまでは深く考えていなかったから、引っ張り込まれるのは嫌だった。
「学部はどちらです?」
「教育学部です」
「そうですか。先生でも、日の丸・君が代に反対して戦ってる人が大勢いますよ。ぜひあなたも、そういう教師になって下さい」
「はぁ・・・」
「それから、よかったら学習会にも参加して下さい。社会について、きちんと理論を学ぶこともとても重要です。明日、説明会をやりますので」
そう言って男性は、真由にチラシを手渡した。「社会科学研究会」と書かれていた。
「お待ちしてます」
そう言われると、行かなきゃまずいかな、という気にいつの間にかなっていた。軽くお辞儀をして歩き出し真由は、そのチラシが佳代の目に留まらぬようにバッグに仕舞った。

         


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4

「毎日電話頂戴ね」
と母が言った。
「それと、困ったことがあったらすぐに言うのよ」
「分かってるって」
真由は少々面倒臭そうに答えた。
「連休には帰ってくるんだろう?」
母の肩越しに父が顔を覗かせた。
「そのつもり。だから心配要らないよ」
「心配よ。心配するのが親の仕事。一人でよそに行ったことも無かったんだから」
母は不安げな表情を隠さなかった。
心配だと言って一人旅をさせなかったのは、お母さんじゃない、と真由は心の中で呟いた。でも声に出していったことは、一度も無かった。
「じゃあもう帰るよ。明日は仕事だから」
父はそういうと、なおも未練がましく立っている母の背中を押した。
「バイバイ」
真由はいつもと変わらぬ声で、手を振った。
「見送らなくていいよ。じゃあね」
ドアが閉まった。
その瞬間、真由の心の中で、何かがガラガラっと崩れた気がした。
これからは、ずっと一人なんだ。
いつでも電話で話せるし、新幹線に乗れば2時間ほどで帰ることもできるけれど、どこか遠い遠い地の果てまで来たような気分になっていた。
これが「孤独」っていうこと?
幼い頃には感じていたかも知れないが、とっくに忘れていた、一人ぼっちの淋しさに、真由は押しつぶされそうだった。この寂しさに、これから耐えていかなければならないと思うと、気が遠くなりそうだった。
頬を伝った涙が畳に落ちる音で、真由は我に返った。
6畳一間のアパートの一室。届いたばかりの家電製品や家から持ってきた荷物が、まだ箱のままおいてあった。冷蔵庫だけは出してあったが、後は「自分でするから」とそのままにしておいたのである。
真由はラジカセを出して、音楽をかけた。好きな音楽を聴けば少しは気が紛れるかな、と思って。それから、今日の夕食は何にしようかと考えることにした。

聖書を読んでみよう、と思ったのは、夜も更けてからであった。とりあえず寝れるだけのスペースは確保したが、当分部屋は片付きそうになかった。実家から持ってきた聖書もまだはこの中であるが、入学式会場でもらった聖書を取り出した。
開こうとして、挟まっていた聖書研究会のチラシのほうに目が行った。
真由はこれまで、ほとんど聖書を読んだことが無かった。両親に連れられて小さい頃から教会に通っていたし、中学・高校はミッションスクールの女子校だったから、毎日のように聖書を開いてはいたが、内容は全く頭に入っていなかった。
高校で世界史と倫理を習って、多少興味を持つようにはなっていた。知識としては知っておきたいと思っていたが、それほど強い願望ではなく、ずっと放ったらかしだった。
ちょっと勉強してみようかな。
そう思って日時を確かめると、土曜日の午後と書かれていた。
土曜日? どうしよう・・・。
女子校出身の真由は、大学に入ったら、体育会系のサークルのマネージャーがやってみたかった。でも、どこも土曜日か日曜日に練習があった。本当のクリスチャンではないけれど、日曜日は教会に行かなければいけないと思っていたから、土曜日に練習のあるサークルを選ぶつもりだった。
もう少し、いろんなサークルを見て、考えよう。
真由はチラシを聖書に挟み直すと、結局聖書は開かないまま、横になった。


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