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電車の中で、真由は何度も時計を見ながらイライラしていた。
喋り出すとなかなか止まらない佳代に付き合っているうちに、説明会の時間が迫っていたので、その場に自転車を置いて路面電車に飛び乗ったのだが、電車はノロノロとしか進まず、このままでは遅刻しそうだった。
といって、佳代に腹を立てているわけではなかった。時間を気にして、そろそろ切り上げなくてはいけないと思っていながら、それを口に出して言えなかった自分に腹が立って仕方なかった。
遅れて入ったら恥ずかしいよね。受け付けてもらえないかも知れないし。まずったなあ。
ようやく大学前の電停が近づいたので、真由は立ち上がり、出口に向かって歩き出した。とその時、運転手が急ブレーキを踏んだ。よろけた真由は、運転席の後ろの目隠しになっている広告版に手を突いた。
信号を無視して歩行者が渡ろうとしたようだ。その間に信号が変わり、結局電車は電停の手前の交差点に釘付けになった。信号待ちの間、真由のイライラと不安はピークに達していた。
信号が青になり、ようやく電車は電停に着いた。真由は電車を飛び降りると、歩行者信号が変わるのももどかしく、キャンパスに向かって駆け出した。
今何分かな、と時計を見ようとして、真由は抱えていたバッグに血が付いているのに気がついた。慌てて手を見ると、右手の中指が切れていた。傷が浅くて痛みがなかったので気づかなかったようだ。
いつの間に・・・電車の広告に手を突いた時かしら、それとも、バッグの金具か何かで切っちゃったのかな。
とにかく、どこかで手を洗わなきゃ。
真由は近くのトイレに入った。
洗面台の前に立ち、ハンカチを取り出そうとした時、ジャケットにも血の染みを見つけた。
「ウソ・・・」
一瞬、頭の中が真っ白になった。急いで手を洗ったが、大した傷ではないのに血はなかなか止まらなかった。指にティッシュを巻きつけて、今度はジャケットの染みを落とそうとしたが、こちらもなかなか取れない。
真由は泣きそうになった。すぐに家に帰って洗濯しないと、このまま染みが残るだろう。それに、絆創膏を持っていないので、またどこかに血を付けてしまうかも知れない。
もう一度時計を見た。説明会の開始時間をもう10分も過ぎていた。
今から行っても、もう駄目かも。
奨学金が受けられなかったらどうなるか、想像もできなかったが、今から行って掛け合う勇気も力も真由には無かった。指と服のことで頭がいっぱいだった。
真由はトイレを出て、とぼとぼと電停に引き返し始めた。

自転車を取りに戻って、アパートに帰り着いた時には、午後7時近くになっていた。
このまま寝ようかと思ったが、おなかが空いてきた。放っておくと気分が悪くなりそうなので、何か食べ物を買いにもう一度出ることにした。
電車通り沿いの店は、閉店するところだった。外食は嫌いな真由は、コンビニに入ることにした。コンビニの弁当や惣菜も嫌いだが、贅沢は言えない。おにぎりとサラダを買って帰った。
アパートの近くで、公衆電話から実家に電話を掛けることにした。部屋にはまだ電話が付いていないのである。母親からもらったテレホンカードを入れて番号を押した。
「大友でございます」
「もしもし。お母さん?」
「あら、真由。昨日は電話くれなかったじゃない」
「ごめんなさい。忘れてたの」
「困った子ね。ちゃんと学校行ってる?」
「うん」
「ご飯も食べてる?」
「うん」
「あ、ちょっと待ってね」
母はそういうと、電話の向こうで
「お父さん、真由よ」
と父に話しかけているようだった。今度は父が電話に出た。
「元気か」
「うん」
「困ったことがあったら、いつでも言いなさい」
「うん、分かってる」
「どうだ、一人は。寂しくないか?」
「大丈夫」
「そうか。じゃあ、お母さんに代わるぞ」
また母に代わった。
「もしもし。変わったことは無い?」
「うん、別に」
「体には気をつけるのよ。ちゃんと食べて、寝て」
「分かってるって」
「今、どこから掛けてるの?」
「アパートの近くの公衆電話」
「周りは明るい? 夜だから、気を付けなきゃ駄目よ」
そう言われて真由は周りを見回した。急に不安に襲われた。
「明日も電話してよ。コレクトコールでいいから」
「分かった」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
受話器を置いてカードを取ると、真由はもう一度見回して、怪しい人がいないのを確かめてから、アパートへ駆け込んだ。


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euangelion

ここまで読みました。
大学入りたての気持ちが甦ってきます。

親とのやりとり、周りの新入生とのちょっとぎこちない触れ合い。
サークルの新歓なども、そうそう、という雰囲気。憲法の先生までなんか似たような人。後、銭湯など。
ほとんど今自分の行っているキャンパスで想像しました。

いろんなサークルに興味持ったり、クリスチャン前の複雜な心境だったりもぐっと伝わってきます。今大学に似た状況の新入生が来ているので、その心情も窺えます。

特にロビーでお祈りする姿の機微は。

こういう姿が小説として改めて書かれていることは新鮮ですし、是非クリスチャンでない方にも読んでもらえたらいいですね。クリスチャン作家としてのデビューを期待しています。

冒頭のエホバの人の導入と主人公の信仰の対比、社会への関心、主人公はどのように信仰に直面するのか、また大学生活では、聖書研究会ではいったい何が待っているのか。お楽しみですね。
by euangelion (2008-06-13 00:44) 

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